居心地のよい空間づくりアドバイザー りーこです。
我が家には今18歳になるミミとお預かり中のうさぎさんがおります。
いつも、猫がかわいいかうさぎがかわいいか論争を繰り広げております。
うさぎさんはとても人懐こく、いつまででも撫でてほしいタイプです。
猫は気ままで撫でると気持ちよさそうにしたのも束の間、数秒で噛みついてきますw
生き物つながりで行くと、植物を育て、愛でています。
子供が持ち帰った朝顔を日々観察し、変化を子供と共有しているのですが、こんなにも朝顔を観る夏は今後来るのでしょうか。
生きとし生けるものを愛でる余裕のある今週の中で思い出したことがあります。
以前は猫を見てもさほどかわいいと思えない時期がありました。
厳密には今ほど興味も関心もなかったので、上手に飼うということができていなかったと思います。
芸能人の人がテレビで『動物の赤ちゃんの動画にハマっていて、時間があるとみてるんです。』というようなことを言っていて、SNSに流れてくる猫を見ては、これをかわいいと思わなければならない。と強迫観念を感じる事もありました。
かわいいと思えない事がいけないこと、と思っていたんですね。
他にもみんなで共有したことを成しえる際、たのしもう!というやつ、あるじゃないですか。あれが本当にわかりませんでした。これがわかるようになったのはつい最近のことです。
私にとって何かをすることは目的ありきで、物事を遂行する事、着地することがなによりも大事でした。それも一気に山を駆け上るように達成します。ただ、誰かとやるとなると全くそうもいきませんでした。ああでもない、こうでもない、答えをだそうとしない意見が飛び交います。それがとにかくストレスでした。
なので、たのしむなどわからず、ストレスばかり抱えていたんですね。
これについてはわりとここ数年の出来事ですが、かわいいものをかわいいと思えない。
これについては記憶もおぼろげですが、10数年はそんな状態でした、おそらくもっと長いかもしれません。
その間出産もしていますし、猫も飼っていました。まったくかわいいと思わなかったわけではないのですが、心がないといいますか、感想。という言葉が適切かもしれません。海は青い。に似た感じです。
物事を目的と捉えて来たので、なんでも目の前にやることを見つければ人の10倍くらいは平気で努力をしました。なんでもできて当たり前だし、そうゆうものでしょ。そんな感覚です。左脳優位とでもいいましょうか。
そんな状態だと、たのしむ。という抽象的なものを捉える思考は私には皆無でした。
今、時間・こころにゆとりが持てるようになって、はじめて気づいた事です。
今より時間があっても、何かに囚われている時は感じられない事でした。
これも取捨選択ができ、無駄なリソースを使わなくなったからこそ思えたことなのかな。と思っています。